(3)富士山登山[1/100]

kazubic2006-07-27

いよいよ、富士山に登ることになりました。26日、新北九州空港から5:30発のスターフライヤーで羽田まで行き、新宿発の高速バスで河口湖まで移動しました。
出発前は天気が心配されたけど、実際にはいい天気に恵まれました。27日の朝、ホテルから富士山が見えました。7:20河口湖駅をバスで出発し、8:10五合目に到着しました。

【27日】
9:15五合目→10:15〜10:30六合目→11:30〜11:40七合目→14:15〜14:50八合目白雲荘(昼食)→15:35〜15:50本八合目富士ホテル→16:15〜16:20八合目半御来光館→17:40頂上東京屋→18:00富士館(泊)、20:00消灯

五合目もかなり涼しい。20℃以下だろう。六合目辺りから登りが急になる。七合目辺りで、子供はもう八合目までしか行かないと言い出す。途中で荷物を持っやり、何とか登らせる。八合目白雲荘で昼食をとる。雨が降りそうで、しかも寒いので、カッパを着用する。写真は白雲荘から登り始めたところ。雨や風が少し強くなり、歩きにくい。九合目ははっきりとした表示がない。多分鳥居の辺りだろう。気が付くと、頂上が目の前にあった。宿泊の富士館へ、更に山頂のお鉢を回る。子供は途中転び、膝に怪我をする。通りがかった親切な人が荷物を持ってくれたので、子供を背負って行くことになる。それでも、何とか富士館にたどり着く。

結局、通常の6時間コースを9時間近く掛けて登ったことになります。それでも、一応目的の山の頂上に立つことができました。

【28日】
4:00起床、4:45発→5:20〜6:00東京屋→7:00〜7:20本八合目富士ホテル→8:00〜9:00江戸屋(下山道)→11:30七合目トイレ(下山道)→12:30六合目→13:25五合目

昨夜の消灯は20:00だったが、夜中の2:00ぐらいまで眠れなかった。酸素が薄いせいだろうか。4:00に起きても、頭痛がして調子が悪い。すぐに朝食となるのだが、食欲がまったくない。朝の弁当はそのままリュックの中にしまい込む。子供は頭が痛いとぐったりとしている。子供を背負い、荷物は妻に持たせ、逃げるように下山する。御来光は歩きながら見た。途中で「登山証明書が欲しかった」と妻が言う。結局、泊まった所の郵便局まで妻と長男(中2)は戻り、私と次男(小4)は下山を急ぐことになる。下山道の江戸屋で待ち合わせることになるが、八合目の上にも江戸屋があり、ちょっと混乱する。それにしてもドコモの携帯はつながりにくい。山では、auの方が感度がいいようだ。子供(小4)は江戸屋でしばらく眠るが、体調はあまり変わらない。合流し、再び下山するが下山道は歩きにくく、ダラダラと長い。私はつま先が痛くなり、速度が落ちてしまう。ちょうど富士山登山マラソンが実施されていて、軽装のランナーにどんどん抜かれていく。七合目辺りから、長男は息がしにくいと言う。もともとゼンソク気味なので、その症状が出てしまったようだ。逆に次男は復活し、自分で歩けるようになった。六合目で登山道に合流し、13:25無事に五合目に戻ることができる。

下山も通常は5時間ぐらいでしょう。私たちは7時間30分もかかってしまいました。長男のゼンソクは徐々に回復し、次男の頭痛は治りました。膝にちょっとした傷は残っっていますが。妻は山頂から胃が痛い言い、その痛みは続くので、帰宅してから病院へ行きました。それに、全員とんでもないほど日焼けをしてしまいました。私が一番ひどいようですが。いろんな意味で、ちょっと富士山を甘く見すぎていたようです。子供(小4)は帰りのバスの中で「富士山に登っている夢を見た」といいます。目が覚めて、登ってなくて良かったと安心したようです。つまり、子供にとって富士山はまさに悪夢のような印象なのかもしれません。
やはり、山頂で泊まったのが最大の誤算たったのでしょう。実は、16年前私は富士山へ登っています。その時は八合目に泊まり、早朝山頂をめざしました。やはり、その方が一般的だったようです。その時は、翌日には南アルプス北岳(富士山の次に高い山)に立ちました。その時の体力が妙な自信となっていて、今回の富士登山をつい安易に考えてしまっていたのかもしれません。
29日は富士急ハイランドで遊び、秋葉原でゲームを買い、普通に過ごして帰途につきました。これで、今年の夏休みも終わったという感じです。
一応、百名山の一つ目です。ここから始まることになります。